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ぜんぶ手でつくる

5、人は相手の無意識に反応する。
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これは手書きの詳細図。無印のダブルリングノートは消せるボールペンと同様僕の必須アイテムだ。ディティールを考えることは、僕の仕事の大半でもあるし最も重要なことでもある。何ヶ月も費やし何度も描き直した案を一瞬のひらめきで変更することも毎回のようにある。僕がすべてのディティールを自分ひとりで考えることに何故こだわるかが今回のテーマ。

一般的に人が建築に持つ印象は、色、形などのデザインや素材感、そして機能で決まると思われている。いわゆる五感で感じる部分だ。しかし、それは一部であって大切なことが抜け落ちている。例えば、人の印象を初めは外見や言動などで判断する。しかし、付き合いが永くなれば次第にその人特有の空気感、いわゆる情緒性が主要な印象になる。それはまさしく「人は相手の無意識に反応する。」という次元の違う感覚を持っているからだ。人が考え作ったものである以上、建築にもこの無意識が確実に宿る。僕はディティールを考えている時この無意識をとても強く感じる。毎回違うディティールを考えているにもかかわらず、知らず知らずのうちに必ず僕の好みや癖が出る。ミリ単位で寸法を決めていく時、「根拠は?」と問われると答えられない時がある。ここにまさしく僕の無意識や好みが現れていて建物の印象を決定づけている瞬間なのだと思う。

「神は細部に宿る。」とはまさしくこのことを言う。現在化する表現やメッセージは消費され、目に見えない情緒性は普遍化する。だから建築家は最後の1ミリまで孤独に自分の意思で決めなければいけない。建築は嘘をつかない。建築家の日常が現れる。自ずとやらなければいけないことは分かってくる。
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by unocolumn | 2014-12-20 17:25

備忘録


貴方の知る最善をなせ。
もし貴方がランナーであれば走れ、鐘であれば鳴れ。

                  イグナス・バーンスタイン

何が好きか。何が楽しいか。何をすべきか。何が得意か。何が出来るか。
それらをどう実現するか。少しの素直さと相当な勇気を持って実行していくしかないと思う。




私が人生で学んだことは、
自分が今もっている力をぜんぶ使えということです

                  スティーヴン・ホーキング




「努力せず結果が出ると、傲りになる。
 努力せず結果も出ないと、後悔が残る。
 努力して結果が出ると、自信になる。
 努力して結果が出ないとしても、経験が残る。」

                          出自不明



「誰かがよろこんでくれる、ということがなかったら、
 すべてが揃っていても、なにがたのしいだろうか。
 誰かがよろこんでくれる、ということがなかったら、
 ほんとうにうれしいことなど、なにもない」

                          糸井重里



無垢で無欲な振りをするほど、欲望は暴力的になるものだから。


                          小島慶子
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by unocolumn | 2014-12-16 10:35

ぜんぶ手でつくる

4、共歓を求めて

1年くらい前からオリジナルのハンドルや照明などの海外からの問合せが頻繁にある。それは個人の場合もあるし、ショップや法人の場合もある。結論からいうとすべてお断りをしている。実は初めの頃、少し心が揺れた。でも、そのおかげであらためて僕が何に喜びを感じて仕事をしているかを再確認出来るきっかけにもなった。

なぜ売ることを躊躇したかは至極単純なことだった。それは僕が購入する人のことを全く知らないからだ。ボクが考えるハンドルや照明器具などはその建築のためだけにある。必ず特定のクライアントを想定してデザインしたものだ。どういうデザインが似合うか、どうしたら使いやすいかなど必然的に完成品は毎回違う。いわゆる一品ものだ。それが僕の知らない人たちが購入するということは、当然その人たちのために作ったものでもないし、その後の交流もない。カッコいいことを言うつもりはないが、僕はやっぱり僕の周りの人たちの幸せそうな顔をこの眼で見たいんだ。お金だけが僕に残ってもその幸せは半分でしかない。共に歓びあえる「共歓」あってこそだ。そのための手段としてやっていることがクライアントのためだけの「全部作る」「手で作る」ということ。

僕のやり方がすべて正しいといっているのではない。大企業が行なっているような合理的に機能を満たす生産活動もなくてはならない。その反面、百姓や料理人が、食する人の顔をひとりひとり思いながら作る仕事もあっていいのではないか。余談だが、最近マスコミなどに頻繁に登場するカリスマシェフと呼ばれる人がいる。そういう人たちの中には何店舗も持ち、すべての客に自から料理を振舞っていない人がいる。彼らはその日の食材、天候、客の体調などで変わる料理の神髄を知らない人だ。知っていたとしたらその人はすでに料理人とは言わない。冷凍食品を選んでいるわけではなく、その人の料理を食べるために予約をしてまで足を運ぶお客に対してできる仕事は自ずと限られてくる。建築家も同じ。いやそれ以上に取り返しがつかないという意味においても責任は重い。少なくともクライアントはその後の家族の生活を託しているわけだから。だから、たくさん思いを込めるためにも「全部作る」。深く込めるために「手で作る」。自分の思いおよばない冷凍食品(既製品)のようなものは使わないことだ。

あらためてものを作って売るという当り前の経済活動を考えたとき、どこまで、どのように人と関るか、そして何を歓びと感じるかをしっかりと自覚した上で行動すべきだ。そうすればお互い選択のミスは少なくなるだろう。
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by unocolumn | 2014-12-13 13:26 | 建築観