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ライフインフラ

優れた住宅が、施主の人生を豊かにするとは限らない。大切なのは、住宅を中心としたライフインフラだ。時にはプライベートな問題を解決しなくてはいけないこともある。だからやりがいがある。
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by unocolumn | 2011-04-09 13:32 | 設計・施工

素材は機能と形態を所有する。

以前作ったリビングチェアーは、当初家族からは不評だった。しかし、座り方を工夫したり、慣れたりして今ではそんな声も聞かれなくなった。人が違えば座り心地も違う。ましてや時とともに体型も体力も変わる。だから、万人に合う機能(座り心地)はない。機能を第一義とすれば、素材の選択肢も変わる。それでは本末転倒だ。人間工学を追究しても商品開発にしかならない。永く愛されることを第一義とすれば、素材が求める機能と形態を優先するしかない。作り手の本当の思いは、素材に託すしか伝わらないものだ。

スパニッシュチェアー(モーエンセン作)がある。この椅子は総じて座りにくい。でも、“ある” だけで幸せだ。時々座ってみる。彼とお話しした気分になる。もう家族の一員だ。
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by unocolumn | 2011-04-09 13:27 | 本・言葉

さくらは、只、咲いている。

意味も無ければ目的も無い。僕らもそれに習うべきだ。木柄をみたり、節をデザインすることに何の意味があるのだろう。それは自然を見下した“奢り“か、自らの力を過大評価した”過信“にすぎない。

自然(神の仕業)を受け入れる度量が欲しい。

縁(神の仕業)を無心に紡ぐ品性が欲しい。
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by unocolumn | 2011-04-06 22:55 | 建築観

さくら


     その美しさに少しでも近づきたいと思った。

       でも、その道は行き止まりだった。

        しばらくその前に立ちすくんだ。

        ある時、わき道を見つけた。

         その先は少し明るかった。
 


        もう少し生きていていいんだ。
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by unocolumn | 2011-04-06 18:36 | 建築観

自然に任せる               木のこと

いま、僕の建築に木は欠かせない素材となっている。しかし、その使い方でその表情や意味が全く変わってしまう。心掛けていることは、その個性や表情を生かすこと。それには最大限の智恵を使い、最小限の加工に留めること。細く切り刻み、貼り合わせ柱にしたり、巾ハギにして天板にするとその個性や表情はたちまちに失われてしまう。それはすでに木ではなく、工業化された新建材といってもいい。そういう仕事をしているうちは、本当の木のことはわからない。相手は自然。ちっぽけな人間の力や知識で太刀打ちできるものでもない。その個性(=くせ)を読み解く智恵とそれを受け入れる度量がなくてはできない。ましてや自分の技術を見せびらかすものでもない。主役はあくまでも木だ。一期一会の仕事だ。だから、同じ納まりも同じ形もないはずだ。
 30数年建築にかかわり続け、特に最近実感することがある。それは “自然に任せる” ということ。自然を信頼すること。自然を愛すること。それが自分の想像を超え、経験したことのない豊かさを与えてくれることに気づきはじめたからだ。真に豊かな建築を作るには、人だけでなく、自然に対しても信頼がなくてはダメだ。
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by unocolumn | 2011-04-04 12:47 | 建築観