ブログトップ

column

unocolumn.exblog.jp

<   2011年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

賢い家づくり

       
      満足度は、信頼の深さに比例する。


建築家のホームページを見てもその違いはあまりわからないものだ。ましてや外観だけで、他人の家が自分に当てはまるかは素人ではなかなか判別しにくい。満足度はデザイン、機能、コストパフォーマンスだけで決まるのではない。大切なことは意外に単純なことだ。信頼さえあれば多くのことは克服できる。人がら、仕事ぶりは誰でも分かるから、しばらく付き合ってみることだ。
[PR]
by unocolumn | 2011-02-26 11:09 | 建築観

ありがとう

先日、飼っていた猫が亡くなった。家族が見守るなか息を引き取るその瞬間、みんな「ありがとう」と叫んだ。
                              そんな建築を作りたい。
[PR]
by unocolumn | 2011-02-25 09:52

蘇生    

素材を大地から剥ぎ取る行為は、立場を変えれば虐殺だ。故に建築家は「蘇生」が義務づけられる。自らを生かすことが第一義になれば、他は手段となり生かされない。主役を間違えてはいけない。「縁」を生かすことに尽きる。
[PR]
by unocolumn | 2011-02-24 22:16 | 建築観

写真家 西澤豊氏を悼む

1月16日 西澤さんが亡くなった。突然だった。その一瞬思ったことは「間に合って良かった」。去年出版した写真集が結果的に彼にとっての最初で最後の写真集になってしまった。でも、最低限の恩返しが出来たのではないか。借金は残ったが、長年の夢も実現出来た。                            25年前、突然の出会いだった。以前いた事務所にふらっと営業に来たのだ。偶然私が対応した。その時に見た写真の印象があまりにも強烈だった。その後も機会あるごとに会えば建築の話をした。彼の建築に対する愛情ある厳しい意見は、その後の私の建築観を一変するものだった。彼が撮りたいと思う建築を作ることが私のモチベーションになった。そして、一昨年ひとつの区切りが来た。なぜかあの時、今彼に撮ってもらう時だと思ったのだ。すぐに彼に電話をし、撮り始めた。一軒に30分もかからないほど早撮りの彼だが、カメラを覗くその姿は、とても自由で楽しそうだった。やはり写真は想像を超えていた。私は感動した。その時、今回の写真集は成功したと思った。実はそのとき同時にやな予感があった。「これが最初で最後の写真集になるのではないか」と。それが今現実になってしまった。撮影スケジュールも体調不良でしばしば狂った。70代後半の彼の体にはかなりきつかったようだ。もう彼に撮ってもらうことはできない。でも、いつか再開した時に恥ずかしくない生き方をしようと心に誓ったこのひと月だった。
[PR]
by unocolumn | 2011-02-22 14:57 | 写真集

ファイナンシャルプランナー

最近は、相談を受けるとまず始めにファイナンシャルプランナーの春田氏を紹介する。彼は企業や保険会社などのひも付きではなく、全くフリーのファイナンシャルプランナーだ。住宅ローンに関しては、ほぼ成功報酬なのでクライアントにとっては損は無い。彼の銀行との交渉能力は絶大で借入金額と期間によっては、総返済額が1,000万円くらい違う場合だってある。私の設計料なんて簡単に捻出出来る。実際に今回私も借り換えでお願いしたのだが、今までのローン金利よりも1%も低い銀行を紹介してくれた。彼の手数料を差し引いても10年でおよそ90万円も得してしまった。知らないと損とはこのことだ。同じ総返済額ならば金利が下がることで、借入金額が増える。当然、建設予算が増えるということ。家づくりの満足度は格段に違う。今までは土地探しからお手伝いをしてきたが、これからはその前の資金繰りからお手伝い出来るようになって、よりいっそう充実した家づくりが出来るようになった。

※ちなみに紹介ではなく、直接相談をされるとコンサルタント料が発生する場合がありますのでご注意ください。
[PR]
by unocolumn | 2011-02-22 13:20 | 設計・施工

私の建築

        
          五感だけが感覚ではない。

            心がある。

        見ることも触ることもできない。

       説明もできなければ証明もできない。

        体験(生活)でしか解らない。

         

       
[PR]
by unocolumn | 2011-02-21 22:00 | 建築観

ある編集者からの問いに

「宇野友明さんは公共の建築を建てていますか?都市空間と、家庭の空間の関連性は関心事でしょうか?それを特別に働きかけた作品がありますか?」
  

私は建築を「都市、私的空間と公的空間」で考えたことはありません。単純に”美しい建築”を作りたいと思っているだけです。それが可能な環境があれば、用途は何であってもかまいません。しかし、今、公共建築が生まれる環境は、私が求めるそれとはかなり違っています。かろうじて丹下さんが代々木体育館を作った頃までではないでしょうか。その後、建築家の存在価値は急激に縮小し、表面的なデザインを提案するだけの調整役というプロジェクトの小さな歯車に追いやられています。仮に出来たとしても妹島、西沢両氏のようなプログラムを環境化する、視覚化することに留まってしまいます。それはある種のわかりやすさ、理解のしやすさがなければ、現実化しないという現在の公共建築の宿命と限界なのではないのでしょうか。
 建築にとって幸福な時代というのは、パトロンがいた時代だと思います。シンプルな関係でしか生まれないものがあります。今の私にとっての「住宅」は、それに最も近い環境で作れる建築なのです。見える世界の向こう側にある見えない世界にしか存在しない「永遠」は、強い信頼関係なくしては作り出せないのです。
 以上が今の公共建築やコンペには興味が持てない理由です。もうひとつは、「カップマルタンの休暇小屋」を超える公共建築を私はほとんど知らないからです。  

また、長田くんの以下のような指摘に対して

「宇野さんは、自分の作品が建つべき、象徴的な土地を探していて、訪ねてきた施主に紹介しているとのことでした。彼にとっては、作品は、補完すべき地霊を持った土地を探すことから始まり、その地の自然を象徴するような作品を付け加えることで完成するのです。」

 正直なところ私の中に作るべき建築の具体的なイメージはほとんどありません。というよりむしろそういうものを持たないようにしています。それは「偶然」を大切にし、「縁」を大切にし、それによってもたらされる「一期一会」の瞬間を大切にしているからです。それらは私がコントロール出来ないものです。私のような凡人は、自らの力の限界を自覚するところからしか始められないのです。「縁」も然り「自然」も然り、人事を超えた“何か”の力を借りる以外に求める建築に近づく手立てがないのです。ただ私の出来ることは、一期一会のその瞬間に最大のエネルギーを爆発する準備をすることだけです。私のちっぽけな過去の知識をいくら総動員しても「予定調和」の世界からは抜け出せないのです。だから毎回クライアントも違えば土地も違う。もちろん予算も要望も全く異なるなかで結果が違うのは至極当然のことです。究極、私は「非定調和」の世界を作りたいと思っています。自らの欲をなだめすかしながら、「縁」あるものを最大限生かしていくことに私の求める建築のヒントがあります。

 ここまで書いてきていろいろ整理が出来てきました。そもそも私の性格や思考のパターンとして、変わるもの、消費されていくものについてとても敏感でそれを排除していこうという傾向が強いのだと思います。コンテクスト、都市、私的、公的空間等々・・・これらの議論もその範疇なのでしょう。

私は「生」への執着が人一倍強いのかもしれませんね。

ただはっきり言えることは、私の営みの全ては「美しい建築」を作るためにあると言うことです。
[PR]
by unocolumn | 2011-02-20 19:33 | 建築観