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カテゴリ:建築観( 53 )

8/17 料理のように

料理は素材が生きるように、美味しく食べられるように調理します。栄養の摂取だけであればサプリメントだけでも生きていくことは可能でしょう。でも、それでは”食の歓び”は感じられません。実は建築も同じです。機能だけを満たせばよいのであれば、どんなものでも作ることが出来ます。でも、それでは”生活の歓び”は感じることはできません。やはり”心が歓ぶ”素材で作ることが大切です。
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by unocolumn | 2009-08-17 17:02 | 建築観

8/7 汚れ

よく外壁の”汚れ”が目立つという話を聞く。同じ場所に生えている樹木の”汚れ”が目立つなんてきいたことがない。実は”汚れ”というのは我々の一方的な価値観で、単なる自然現象ではないか。それが目立つということは、自然と仲良しではないということだ。もっと自然と仲良しになれる作り方をすれば、”汚れ”も自然の景色になるはずだ。そういう家が街を美しくしていく。
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by unocolumn | 2009-08-06 17:11 | 建築観

8/7 体裁

最近気づいたことがある。いつも注意はしているが、ついつい欲が出てしまい”素材の声”を聴かずにきれいに見せようとしたり、小手先を使い体裁を整えようとしてしまう。それは目先の評価を求めているからだと思う。素材がなりたいかたち、素材が喜ぶ作り方というものは必ずあるものだ。それを無視して体裁を整えてしまうと一時の評価は得られるが、真実はあとで出てしまう。建築はあとの方のがずっと長い。そこに照準をおいて作るべきだ。だから目先の評価を求めずに素材が喜ぶものを作っていきたい。
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by unocolumn | 2009-08-06 16:50 | 建築観

8/5 子育ての家2

不便なこと、不都合なこと、不合理なこと、思うようにならないこと、どうしようも出来ないこと。今までの家づくりは、これらを克服することに務めて来ました。それには自然を家から排除することが、最も効果的でした。その結果、生活のほとんどが大量生産の工業製品で埋め尽くされるようになりました。それらは人が作ったものではなく機械が作ったものです。何か変だとは思う。

不便なことは排除して、不都合なことには関らず、不合理なことは取り替えて、思うようにならないことに怒り、どうしようも出来ないことなんてないと思う。この世がそんな傲慢な人ばかりになってしまったらどうなってしまうんだろう。もう少し謙虚に生きられる家を作っていきたいと思う今日この頃です。
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by unocolumn | 2009-08-05 17:51 | 建築観

8/5 白いキャンバスのような

家族の生活を自由に描いていけるような「白いキャンバス」のような家を作りたいと思っています。住まい方や趣味嗜好を限定させてしまうような、目障りなデザインはできる限り避けたい。そして、飽きのこない、永く愛される家を作りたい。それを実現させるために大切なことは「自然」との関り方です。陽光、風、雨、気温、湿度、木、土、鉄、等々。自然は人を豊かに育てる優れた先生です。組合せによってその先生の個性はさまざまです。それぞれの家族に合った先生を見つけられれば、きっと豊かな人生を描けられるようになると思います。
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by unocolumn | 2009-08-04 18:09 | 建築観

8/1 子育ての家

多くのクライアントが、今、子育て本番中です。だから考えてほしいのです。

自然との関わりは子育てには不可欠です。都合の良い部分もあれば、不都合な部分もあります。それによって我慢することや受け入れることを覚えます。また、困難を克服するために想像力、創造力が養われます。何も海や山だけが自然ではありません。日常の生活の中でも充分に自然を体験しながら生活することが出来ます。それは家を自然素材で作ることです。自然の変化や環境を感じられるような家にすることです。

多くの人は、経済性や便利さを優先し、気づかない間に大切なことを忘れてしまっています。人工的なものに囲まれて、ジャンクフードをたべながら、親の愛や人のこころに敏感な子供は育つでしょうか。今、日常に溢れる不条理なニュースを聞くと心配でなりません。だから安易に家を選択してしまうことの罪深さをもっと真剣に考える必要があります。

もしかすると、もうすでにペットとぬいぐるみの違いがわからない大人が社会にいませんか。
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by unocolumn | 2009-08-01 16:38 | 建築観

5/10 奈良に行って

ここ数年、近代建築をあえて見に行くことはなくなった。
それはボクが建築を「ながく愛されているか」
そういう見方でしか見なくなったから。

いろいろな本を読み、
いろいろな人の話を聞き、
いろいろな建物を見てきた。
いろいろな人がいろいろな評価をして、
いろいろな理屈やいろいろな理論を述べる。

ボクにはそのほとんどが理解不可能だし、納得できない。
時代の流行、社会の風潮、どれもボクには大切に思えない。
だって五百年も愛されそうな近代建築なんて
サグラダ・ファミリア以外にありそうもないから。

五百年も千年も経った建ものの
前ではただ立ちすくむのみだった。
ボクは同じ「建築」という土俵の上で
仕事をしているのだろうか。
なぜかいたたまれなくなる。
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by unocolumn | 2009-07-27 13:14 | 建築観

2/23 永遠

私のものづくりはすべてにこの思いが強く込められている。
それがどこから生れ出てきているものなのか最近時々考える。

幼い頃から病弱だった母の生と死は、私の日常だった。
だから確かに「死」を強く意識する子供だった。

相次いで両親を亡くした20年前、
ほぼ3年間引きこもりになった。
家では禅の本を読み、
週に1、2度禅寺に通う日々だった。
その時に幼い頃からの漠然とした不安が、
「無常観」だったことを知った。

そして、それが変えがたいこの世の摂理であることも知った。 
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by unocolumn | 2009-07-27 12:50 | 建築観

2/17 気持ちのいい空間2

気持ちのいい空間、好きだと思う空間を意識したことがありますか?

 飽食の時代といわれて久しいが、建築の世界はポストモダン以降”包飾の時代”が続いている。神が人を作ったとき与えた欲望は、生存と子孫を残す最低限のものだったに違いない。しかし、現代ではその欲望も肥大化し、建築も哀れなほどに肥満化した。本当に気持ちがいいと感じる場所はいろいろな要素が「ある」のではなく、「ない」のではないだろうか。茶の湯、生け花、俳句など日本の文化が今なお世界に評価されるのは、それらの「ない」という感性ではないだろうか。欲望を小さくして自己に向き合い感覚を解放する。それこそが日本人にしか掴み取れない「自由」ではないだろうか。これからもそういう”自由な建築”を求めていきたい。
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by unocolumn | 2009-07-27 12:49 | 建築観

2/14 こころのマスメディア

建築家は設計した建物が遠い未来まで愛されたいと望む。
だから建築に未来を込めようとする。
「新しさ」がそのための命綱だと勘違いしている建築家は多い。
「新しさ」は一時の現象だ。
同時に過去になる。
だから無駄だ。
建築は建築家のマスターベーションの道具ではない。
見つめるべきは「こころ」だ。
それは部材と部材を繋ぐ細部に現れる。
その部材を作った人、それをつないだ人、そしてそれを仕組んだ建築家。
それぞれの歓びが込められてはじめて使う人にも歓びというが伝わっていく。
そういう「こころのマスメディア」が建築だ。
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by unocolumn | 2009-07-27 12:47 | 建築観