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カテゴリ:建築観( 53 )

6/4 須永 豪くんとの往復書簡

「南山の家」のオープンハウスに参加してくれたサバイバルデザインの須永 豪くんとの往復書簡。

こんばんは。早速ご返事ありがとうございます。

「現代土蔵」はこれまでの宇野さん建築の印象と結びつかず、ボーっと見てしまって残念ながら理解できていませんでした。なるほどまた「新たな試みへの挑戦」なのですね。ウカウカしてると見る側が置いてきぼりになりますね。遺産・財産に安住せず、常にゼロからの創作を進み続ける姿勢に驚きます。

こういうと不思議に感じられるかもしれませんが、私自身構造に関してのこだわりは全くありません。私の好奇心の赴くままに特にこだわりはありません。現代住宅の土壁、特に大壁の仕上げについて以前より違和感を持っていました。小舞を組んで荒壁を塗ってもボードを貼ってはおしまいです。叩けばポコポコいうような土壁はどんな塗り方をしても偽物です。かといって土蔵を提案するのもナンセンスです。だから最近は塗り壁の木造は避けていました。しかし、今時期がきたのだと思います。自らの知識、技術、経験。僕の周りにいる職人の技術と信頼関係がその時期を作ったのだと思います。考え方は簡単で、小舞を型枠代わりに土をコンクリートに見立てて充填する。そのためには従来の小舞や土では、構造上、施工性などに問題があるために小舞の編み方を工夫し、土は重量を軽くし断熱性をもたせ、乾燥を早めるためにパーライトを半分ほど配合しました。石灰は凝固を早めるためと壁内での安定化、防腐防虫のためです。これらのことを考えて試みたものです。これも僕の周りにいる職人たちの智恵がなせる技だと思います。

「南山の家」で感じたことを少し書かせていただきます。(率直な感想こそが、なによりの誠意と信じて、正直に。)外部空間は、アプローチ・庭とも地形と周辺環境の空気に素直に従いゆったりして、とても心地よいものでした。中に入るとそれが一転し、祈りの空間、もしくは遺跡のような厳粛さ。石と空気と光だけのガランドウ。高い天井を見上げながら、あぁ『伽藍堂』かぁ・・・と、思いました。精神の居所とでも言うのでしょうか。現在の私は、現在の宇野さんとは考えが違うのかも知れないと感じました。私は住居=人の巣と思っています。ふわふわした居心地、ダラッとした開放、放ったらかしの自由が、怠惰かも知れませんが、好きです。そんな身体感覚の者からすると、南山の家の空間は、ピラミッドか遺跡か、魂のためにある空間のように感じました。(RC造が苦手なわけではありません。阿部勤さん・東孝光さんの自邸、室伏次郎さんの大和町の家は実際に体験し、身体的な空間で好きです)「本郷の家」では空気のユルさを感じ、ここで一日中ごろごろしてたいなぁと思っていました。「南山の家」の外部空間にも同じ種類のユルさ、おだやかさを感じたのですが、内部空間へそれを連続させなかったのはなぜだろう、と不思議です。年齢を重ねての変化なのか、クライアントの個性がそうさせたのか。

須永くんの感想、指摘は大変的確で的を射たものだと思いました。あらためて今の自分のスタンスを確認出来た意見でした。結論から言うと僕は自分でも気付かぬうちに「住宅作家」から今はほとんどいなくなってしまった「真の建築家」を目指すようになっていたのだと思います。

まだ、何を目指して作るかを迷っていた30代。当然のように住宅の依頼しかないので「住宅」というものを手がかりに建築を作り出しました。しかし、次第に「建築のいのち」というものに関心が向くようになりました。建築の寿命には、構造的なものもありますが、一番短命な寿命が「機能」では無いかと考えました。「住宅」はその「機能」の典型です。「住宅」を求められているのだから「住宅」を作るべきではないかといわれればその通りです。しかし、今住宅作家たちが作る住宅を見てみてください。求められる便利さや機能性を優先し、真の豊かさを提案することもなく、一過性のデザインを押し付ける。

不便な家を勧めている訳ではありません。以前の日本の住宅の中にあたりまえにあった自然を取込み、消費されない豊かさを得られる「住宅」、いや「建築」を作れないでしょうか。

安藤さんは、元ボクサーらしく建築を通して自然を「肉体」と対峙させて「豊かさ」を提案しましたが、僕はそれが「心」「精神」に向いているようです。その要素が以前より強くなったせいか、”ユルさ”が失われたように感じたかもしれませんね。

ただ少しばかり感じたのは、須永くんの「住宅」に対する考え方が少し狭いか、固定化されてはいませんか。全ての建築は「住宅」だともいえます。しかし、名前や概念などは本来どうでもいいことだと思いませんか。それらに縛られることなく、真に豊かなものを作ることが大切なことで、私たちに求められていることではないでしょうか。

30代の頃の僕と今の僕とで大きく変わったことがあります。以前は、施主のライフスタイルにある種の理想を求めていました。何かの型に施主の生活をはめようとしていたと思います。しかし、50歳を目前とした今は、施主のライフスタイル対する要望は全くありません。それよりも自分の想像と違うライフスタイルを垣間見ると嬉しくなったりもします。これは自分の思いを確実に建築に託すことが出来ている証しなのかもしれません。

でも、これも今の自分にとっては過渡期だと思っています。私の建築が際立った印象を与えるものだとすれば、それは本来求めているものではありません。時には「草花」のように、時には「木」のように自然に存在することが理想です。

長々と書き綴ってしまいましたが、あらためて自分のスタンスを確認するために書かせてもらいました。独り言だと思って読んでください。
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by unocolumn | 2010-06-03 21:50 | 建築観

2/7 ノーメッセージ

「建築はその地に生える樹のように生きたいと希っているのではないだろうか」                     松山巌        
建築にオリジナリティーなんて必要ない。ましてやメッセージなんてもってのほかだ。一人の建築家のちっぷけなオリジナリティーや目障りなメッセージなんて必要ない。建築に大切なことは、豊かな生活が送られる道具であることと自然と共生することだけだ。
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by unocolumn | 2010-02-06 23:16 | 建築観

1/16 備忘録として

これはもう10年以上も前に藤本照信氏が何かの雑誌に投稿したコラムです。もう10年以上も机の前に貼っていて紙がぼろぼろになってきたのでここで備忘録とします。

「宇宙の意志」
「建築家は混沌たる宇宙の大本の中にその意志を感じ、そこに第二の自然を創造して人間に提供し、人間の住む適した世界を創造する使命を有するのです」ーこの言葉は,後藤慶二が大正5年に発したものである。(「過去とも将来ともつかぬ対話」から)。(中略)現在の日本の建築のデザインを考えると、やはり貴重な言葉だといっていいだろう。
 日本の若い世代のデザインに接して、私はいつも不満が残る。たしかに上手だし,センスもいいと思うのだが,なんかヒ弱というか核がないというか、見た後で、「で、それでどうした」と言いたくなってしまうのである。そんなセンスの良さだけが取りえのデザインしか生まれなくなったのにはいろいろな理由があると思うが,一番深刻な理由は、建築家を目指す者が、〈宇宙の意志〉を感じられないままデザインを始めてしまうからではないか。
 宇宙の意志のかわりに何を感じ取っているかというと、それはおそらく〈自分の意志〉に違いない。小さな自分の意思しか根拠がない状態が若い世代にまん延しているのである。若い世代だけではなく,大手の組織的な設計事務所にもこのことはあてはまり、こっちは〈組織の意志〉しか根拠がない。自分は小さいし,組織はむなしい。小さなもの,むなしいものからはしょせん見る人の心を奮わすような表現は生まれるはずもないだろう。小さな自分が、宇宙とか時代とかの自分よりはるかに大きいものの意志を感じ取った時、そこから建築が始まるのである。
 
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by unocolumn | 2010-01-16 17:27 | 建築観

12/3 出来た作品と・・・

 フランスの詩人シャルル・ボードレールは、「出来た作品と仕上げられた作品との間には大きな違いがある」といっている。そして、彼にとって「出来た」作品というのは、たとえ「仕上げられて」いなくても、作品として素晴らしく「出来栄え」のいいものを意味していた。つまり彼は、技術的完成度と美的価値とは必ずしも次元を同じくするものではないと言いたかったのだ。
 また、セザンヌも「私は常に仕事をせねばなりません。しかしながら、それは世の馬鹿者どもの賛嘆の的となるあの仕上げに到達するためではありません。これは俗世間ではあれほど賞賛しますが、実は職人的技術の問題にすぎず、あらゆる作品を非芸術的かつ平板にしてしまうだけです」と言っている。

 これらの言葉は、今改めて自分が立っている位置を指し示してくれていると思う。今までは、完成度を求めて、可能な限り「仕上げ」てきた。しかし、そうすればするほど作品に裏切られているような思いを隠せずにいた。それは、知らず知らずのうちにある可能性を抹殺して、満足することができない現実に収斂してしまっていたからだろう。技術的な完成と、自らの信じる、あるいは目指すところの価値とのこうしたギャップは、製作一般に不可避的なものかもしれない。
 だからといって「仕上げられていない作品」が「出来た作品」かと言えばそうではない。技術の軽視、いわゆる「手を抜く」ことが価値を実現するわけではない。だとしたら何を頼りに作るのか。
 それは、「謙虚な姿勢で天命を信じる。そして、人事を尽くすこと」に尽きるだろう。そういう意味で今施工中の「御幸山の家」は全く新しいボクであるとも言える。    
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by unocolumn | 2009-12-02 22:57 | 建築観

11/29 「衝動」と「打算」のはざまで

建築は「衝動」と「打算」のはざまに咲く一輪の花だと思う。「衝動」から生まれる「純粋」を社会に送り出すのが「打算」だ。「打算」は経済的合理性と妥当性を確かめる道具だ。だから、どんなに美しく作られたとしても建築は芸術にはなれない。しかし、私が作った子供たちは、きっと野に咲く秋桜のようになりたいと思っていると思う。
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by unocolumn | 2009-11-29 00:08 | 建築観

10/29 天真爛漫

先日の川喜田半泥子の展覧会は、今後のものづくりの手本となるのものであった。的確な言葉が見つからないが、あえて言えば、”穢れなく気品ある”という形容詞だろうか。他者を意識せず、自分と向き合い、形にこだわらず、土の声を聴き、土と戯れ、土に遊ぶ。そういう天真爛漫な境地でしか得られないものがあることをあらためて思い知らされた。器に残る指跡、傾いた茶器、裂けた口辺を指でちょいと摘んでおしまい。そんな1つ1つの仕業がすべて自然だ。だからその透明感故にすっと心に入り込み、美しいと感じるのだと思う。建築にだって可能性はあるはずだ。
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by unocolumn | 2009-10-29 10:49 | 建築観

10/29 よく生きるために

子供が死ねば親ではない。離婚すれば夫でもない。仕事がなければ設計士でもない。私を知らないところに行けば、私は誰でもないのだ。すべては仮の姿。それを意識して生きるしかない。でも、それを見つめることで、謙虚にもなれるし、自由も得られる。よく生きるために残された手段は、”誠実”だけだ。そして、そこからしか良い建築は生まれないような気がする。
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by unocolumn | 2009-10-28 22:23 | 建築観

9/30 みえるものみえないもの

以前あるベテランの女性編集者からこんなお手紙をいただきました。

「あなたの作る住宅は、著名建築家に酷似していて倫理的に大変問題がある。責任あるジャーナリストとして関わってはいけない仕事だと思う」

先日、塗師の赤木明登さんの個展に行きました。主には、椀や盆などの漆器でした。美しい形というのは、数百年前からあまり変わってはいないのだと思いました。木地師が木型を作り、塗師がそれに漆を塗る。数百年変わらない生業です。彼はそのスタンダードな形に漆を塗るということだけに自らのすべてを捧げて仕事をしています。見方によっては、過去のものの真似ばかりで、取るに足らないもののように見えます。それでは、あまりにも道具の本質、職人の仕事を知らなさすぎる貧しい見方ではないでしょうか。違いは見ただけではわからない場合もあります。触れてもわからない場合だってあります。使い続けて始め伝わる(感じる)ものかもしれません。このように必要な機能と作り手の心を伝えるコミュニケーションツールであることが道具の本質であり、建築にとっても大切なことだと思います。もし、仮に私がある有名な建築と全く同じもの作ったとしても、私にしか伝えられないものが必ずあるはずです。ちっぽけなオリジナティーを振りかざすのはあまり好みではありません。これからも塗師の仕事が分かるような人たちのために仕事をしていきたいと思います。
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by unocolumn | 2009-09-30 18:02 | 建築観

9/5 ミッション

技術を駆使して見栄えの良い建築を作ることはそれほど難しいことではありません。しかし、建築の本来の目的ではありません。建築にとって重要なことは、それを作る人の人間性です。なぜならそれは、人間が人間のために作るものなのだからです。建築に与えられたミッションは、人を豊かにすることです。そのためにいかなる場合においても美しくなければなりません。
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by unocolumn | 2009-09-04 23:03 | 建築観

8/30 志

どんな仕事も大切なことは「志」だ。
利害が大きく絡み、おおくの人の手で作られる建築という仕事は、それを保つには特段の努力がる。時には誤解や対立もある。また、それを適度に保つということもありえない。有るか無いかだ。一貫していなければ職人の信頼は得られない。孤独を恐れているとすぐに壊れてしまう。しかし、それを乗り越え積み重ねることで、自然に志の高い職人が集まって来る。あとはすべて上手くいく。
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by unocolumn | 2009-08-31 11:06 | 建築観