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カテゴリ:建築観( 53 )

伝える技術

大切なことはイメージ通りに作ることではない。自分の能力を過信してはいけない。もっと謙虚になるべきだ。予定調和には限界がある。伝わるのはそこから先だ。秘訣はこの3つ。    

  人事を尽くす   自然に委ねる   縁を尊重する                     
自然は生きている。だから完成はない。建築はその自然に人の思いを乗せていく行為だ。そして、「縁」という不可思議な絆が「いのち」を紡ぐ。
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by unocolumn | 2011-03-04 12:59 | 建築観

願い

     
     ゴッホは”命”を描きたいと思った。

      ボクは”命”を作りたいと思う。



(Gogh wanted to draw "Life". I want to make "Life". )
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by unocolumn | 2011-03-03 17:06 | 建築観

賢い家づくり

       
      満足度は、信頼の深さに比例する。


建築家のホームページを見てもその違いはあまりわからないものだ。ましてや外観だけで、他人の家が自分に当てはまるかは素人ではなかなか判別しにくい。満足度はデザイン、機能、コストパフォーマンスだけで決まるのではない。大切なことは意外に単純なことだ。信頼さえあれば多くのことは克服できる。人がら、仕事ぶりは誰でも分かるから、しばらく付き合ってみることだ。
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by unocolumn | 2011-02-26 11:09 | 建築観

蘇生    

素材を大地から剥ぎ取る行為は、立場を変えれば虐殺だ。故に建築家は「蘇生」が義務づけられる。自らを生かすことが第一義になれば、他は手段となり生かされない。主役を間違えてはいけない。「縁」を生かすことに尽きる。
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by unocolumn | 2011-02-24 22:16 | 建築観

私の建築

        
          五感だけが感覚ではない。

            心がある。

        見ることも触ることもできない。

       説明もできなければ証明もできない。

        体験(生活)でしか解らない。

         

       
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by unocolumn | 2011-02-21 22:00 | 建築観

ある編集者からの問いに

「宇野友明さんは公共の建築を建てていますか?都市空間と、家庭の空間の関連性は関心事でしょうか?それを特別に働きかけた作品がありますか?」
  

私は建築を「都市、私的空間と公的空間」で考えたことはありません。単純に”美しい建築”を作りたいと思っているだけです。それが可能な環境があれば、用途は何であってもかまいません。しかし、今、公共建築が生まれる環境は、私が求めるそれとはかなり違っています。かろうじて丹下さんが代々木体育館を作った頃までではないでしょうか。その後、建築家の存在価値は急激に縮小し、表面的なデザインを提案するだけの調整役というプロジェクトの小さな歯車に追いやられています。仮に出来たとしても妹島、西沢両氏のようなプログラムを環境化する、視覚化することに留まってしまいます。それはある種のわかりやすさ、理解のしやすさがなければ、現実化しないという現在の公共建築の宿命と限界なのではないのでしょうか。
 建築にとって幸福な時代というのは、パトロンがいた時代だと思います。シンプルな関係でしか生まれないものがあります。今の私にとっての「住宅」は、それに最も近い環境で作れる建築なのです。見える世界の向こう側にある見えない世界にしか存在しない「永遠」は、強い信頼関係なくしては作り出せないのです。
 以上が今の公共建築やコンペには興味が持てない理由です。もうひとつは、「カップマルタンの休暇小屋」を超える公共建築を私はほとんど知らないからです。  

また、長田くんの以下のような指摘に対して

「宇野さんは、自分の作品が建つべき、象徴的な土地を探していて、訪ねてきた施主に紹介しているとのことでした。彼にとっては、作品は、補完すべき地霊を持った土地を探すことから始まり、その地の自然を象徴するような作品を付け加えることで完成するのです。」

 正直なところ私の中に作るべき建築の具体的なイメージはほとんどありません。というよりむしろそういうものを持たないようにしています。それは「偶然」を大切にし、「縁」を大切にし、それによってもたらされる「一期一会」の瞬間を大切にしているからです。それらは私がコントロール出来ないものです。私のような凡人は、自らの力の限界を自覚するところからしか始められないのです。「縁」も然り「自然」も然り、人事を超えた“何か”の力を借りる以外に求める建築に近づく手立てがないのです。ただ私の出来ることは、一期一会のその瞬間に最大のエネルギーを爆発する準備をすることだけです。私のちっぽけな過去の知識をいくら総動員しても「予定調和」の世界からは抜け出せないのです。だから毎回クライアントも違えば土地も違う。もちろん予算も要望も全く異なるなかで結果が違うのは至極当然のことです。究極、私は「非定調和」の世界を作りたいと思っています。自らの欲をなだめすかしながら、「縁」あるものを最大限生かしていくことに私の求める建築のヒントがあります。

 ここまで書いてきていろいろ整理が出来てきました。そもそも私の性格や思考のパターンとして、変わるもの、消費されていくものについてとても敏感でそれを排除していこうという傾向が強いのだと思います。コンテクスト、都市、私的、公的空間等々・・・これらの議論もその範疇なのでしょう。

私は「生」への執着が人一倍強いのかもしれませんね。

ただはっきり言えることは、私の営みの全ては「美しい建築」を作るためにあると言うことです。
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by unocolumn | 2011-02-20 19:33 | 建築観

心地よい時間

この歳になるまで建築家の仕事は、”心地よい空間” を作ることだと信じていたが、本当は”心地よい時間(=eternity)”を作ることだと知った。
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by unocolumn | 2011-01-06 19:16 | 建築観

絶望しないチンパンジー、希望を持つ人間

先日新聞にこんな記事があった。
「人間とは何か。想像かなと思う。チンパンジーは全く違うものを結びつけるのが難しい。例えば、お絵かきであらかじめ目のない顔を描いた紙を与えると、顔の輪郭線をなぞるだけ。人間も2歳半ぐらいの子は同じようにするが、3歳になると目をかく。チンパンジーはそこにあるもの、目の前にあるものをみている。人間はそこにないものを考える。
 こういうことがあった。レオというチンパンジーが脊髄炎で首からしたが突然、まひした。体重が激減。床ずれもひどかった。ところがレオは全然へこたれない。寝込んでやせて骨と皮になって。僕だったら完全にだめ。介護のかいもあって回復したが、そこで思ったのは、チンパンジーは今ここの世界に生きている。人間はそうでなく、想像する力がある。100年先、100年前のことを考える。
 想像する時間と空間の広がり方が人間はものすごく広い。チンパンジーは今ここを生きているから寝込んでもこのままどうなってしまうのだろうなんて考えない。チンパンジーは絶望しない。絶望する理由がない。人間は絶望する。このまま寝込んだらどうしようと。でも絶望するということが、まさに希望を持つことにもつながる。どんな状況にあってもはるか遠い先のことに思いをはせて、希望を持ち続けることができる。それが人間なんだなと思うようになった」

座禅は考えないことの練習。禅宗は「今ここに生きろ」と教える。チンパンジーは生まれながらにして禅の達人だ。希望なくして生きることができる。「苦」を生む想像力とはなんだろう。それこそが人間ということなのか。
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by unocolumn | 2010-07-27 22:56 | 建築観

6/14「意味」について考える。その2

時々、建築について説明を求められる時がある。そういうことに饒舌な建築家はたくさんいる。がしかし、僕にはみんなが納得出来るようなもっともらしい理論やコンセプトはない。ただひとつ言えることは、自然を愛おしく思う気持ちは誰よりも強いということ。だから自然(素材、陽光、風等々)を最大限生かせることをいつも考えている。それはちょうど愛する人に何かをしてあげたいという”衝動”に似ている。

だから大切なことは ”意味” ではなく ”歓び” だ。

その思いが強くなればなるほど言葉は、建築を矮小化してしまうのではないかと思い、言葉に対して信頼が持てなくなる。本来建築は、巧みな言葉や美しく装飾された図面や模型によって説明出来るものではないと思う。だから実物を見て感じてほしい。それによって建築家としての可能性を縮めたとしても、納得出来ないものをこの世に作り出してしまうよりはずっとマシだから。
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by unocolumn | 2010-06-14 13:22 | 建築観

6/14 「意味」について考える。その1

「南山の家」のオープンハウスを終えて「外構と建築との繋がり、関係性に違和感がある」という感想を数件聞いた。このことについて少し話しておこう。私たちは普段の生活で、便利なこと、機能的なこと、役に立つことに価値を置きすぎていないか。造成や植樹を何の疑いもなく「庭」だと思う。もし、例えば林の中にポツンと一軒建てたとしよう。その場合、周囲の林は「庭」だろうか?どこか人間の傲慢さを感じないか。「在る」ことに意味があり、「在る」ことに満たされる。そう感じられたら本当に幸せなことではないだろうか。櫻井くんは“庭”を作っているのではない。ただ祈りをこめて“復元”しているだけだ。そして、僕は愛おしい素材たちに“再生”を誓っている。私たちは何かを起こそうとする時、必ず目的や意味を求められる。それを当り前だと思っている。ここで少し考えてほしい。役に立たない人間は、生きている意味がないのだろうか。外見が美しい人が素晴らしいのだろうか。高尚な哲学をもった人間が価値が高いのだろうか。これと同じことが建築にも言える。優れた機能と美しいデザイン、斬新なコンセプトを持つ建築が本当に素晴らしいのだろうか。僕は ”あるべきもののない建築” にそれらは何の意味もないことだと思う。大切なことは、”建築に対する無償の愛” ではないか。建築を何かの道具にしていないか。「自己表現」「売名」「商売」等々。家族や恋人を愛するように建築を愛する。“大切な建築” を作るには、それ以外方法はないと思う。
 


   肝心なものは目に見えないんだよ。  サン・テグジュペリ
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by unocolumn | 2010-06-14 11:23 | 建築観