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カテゴリ:建築観( 53 )

発明と発見

最近、以前から抱いていた疑問を自分なりに解決した。それは、近年の多くの著明な建築家たちと自分とでは、建築に求めていることが根本的に違うのではないかという疑問だった。それは突然に来た。今となっては誰が書いたかも覚えてはいないが、その言葉が目に入るや「これだ! これだ!」。

それは「発明」と「発見」。辞書などで調べてみるとおおむねこんな意味になる。「発明」とは、まだこの世にないものを新規に創り作り出したり、独自に考案したりすること。「発見」とは、すでにこの世にあるものを独自の気づきやとらえ方によって、見つけ出したり創り出したりすること。

例えば発明には、ライト兄弟の飛行機、エジソンの電話、電球などがよく知られている。発見は、ニュートンの万有引力、アインシュタインの相対性理論などが有名。また、仏陀が唱えた輪廻転生、縁起の法もそのひとつだ。

僕は建築に普遍的なものを求めている。でも、前述のような世界を揺るがす大発見や宇宙の真理を解き明かすような大げさなものではない。一期一会の小さな発見に誘えるものを作りたい。新しくなくてもいい。独創的でなくてもいい。

ただそっと輝いていればいい。
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by unocolumn | 2012-09-12 18:25 | 建築観

メインストリーム

今この時代に信念を貫くことは容易なことではない。しかし、建築家は独自の価値を提示し続ける以外に生きる道はない。目の前のごちそうが、好物でないと気づいたら、諦める勇気が必要だ。一度食べてしまえば、もう二度と真の好物は食卓の上に上がらない。次第に仕事は、人生のメインストリームから外れていく。

悩む多くの同輩にいつも贈る言葉がある。

「諦めるな」

「自分にウソつくな」

「大切なことは何だ」

「自分を信じろ」
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by unocolumn | 2012-07-28 00:03 | 建築観

仕事が始まるとき

「今何を求められているのだろう」

「今何がしたいんだろう」

「自分に嘘をついていないだろうか」

「最善の応えは」

「・・・・」

仕事はいつもどんな時でも、自問自答から始まる。
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by unocolumn | 2012-07-28 00:00 | 建築観

スティーブ・ジョブズから学んだこと

コンテンツに頼らず機能を追求した。それはシンプルで感覚的。ジャッジはいつも彼自身。決して大衆や時代におもねることはなかった。便利で面白いということに留まらず、発見と創造が主要なコンセプトだ。そのアプローチは本質的でプリミティブ。だから飽きない。共通項は道具だ。住宅は人の営みを支える最もプリミティブなもの。だから、コンテンツに頼ったり、びっくり箱のような仕掛けは無駄な消費だ。日々、ささやかな発見が生まれる空気のような住宅が理想だ。
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by unocolumn | 2011-10-16 00:08 | 建築観

祈りと感謝

先日、庭師の櫻井くんから「宇野さんは、いのちを見つめる目をどのようにして養ってきたのか」という趣旨の質問を受けた。迷わず「母への思いだ」と答えた。僕の母は、生まれながらにして心臓に障害を持って生まれてきた。子供を産めない身体で、いのちと引き換えに僕を産んだ。その後も日々いのちの危険と隣り合わせの日常だった。母を心配させないようにいつも無邪気に振る舞っていたが、実は心では「お母ちゃんが今日も元気でいれますように」といつも祈っていた。学校から帰宅し、母の元気な姿を見るたびに誰にいうでもなく「ありがとう」と心の中で手を合わせた。「祈り」と「感謝」は僕にとって宗教でもなんでもなく、当り前の日常だった。そんな日常も母の死とともに終りを、自ずと仕事や新しくできた家族に向けられるようになった。そんな折、雑誌「住む」に赤木明登氏の「祈るために」というエッセイを見かけた。その中にこんな一文があった。

「器は、使うために作る。盛られた食べ物を美味しくいただくために器を使う。いただいたものが旨ければ、自ずと「ありがたい」という言葉が生まれる。「ありがたい」と手を合わせることは「祈る」ことにほかならない。僕は、祈るために作りつづけようと思う」


この文を借りて、今の自分の仕事に当てはめるとぴったり来る。

「建築は、使うために作る。日々の生活を豊かにするために建築を使う。日々の生活が豊かになれば、自ずと「ありがたい」という言葉が生まれる。「ありがたい」と手を合わせることは「祈る」ことにほかならない。僕は、祈るために作りつづけようと思う」
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by unocolumn | 2011-08-20 16:41 | 建築観

”競争入札”に異議あり!

力のある建築家ならば、自ら設計した住宅の適正価格は知っているはずだ。心を込めた住宅を作るために誠心誠意の見積書を深く精査することもなく、確信犯的に金額のみで切り捨てる罪の深さを自覚すべきだ。職人たちは傷ついている。彼らのやる気やスキルを疲弊させているのだ。彼らは私たちの仕事を支えてくれるかけがえの無い宝物だ。彼らを生殺しにしていいはずがない。与えた仕打ちは必ず自分に返って来る。せめて結論を出す前に見積りからその心を読み取るべきだ。そこを疎かにして心ある建築が生まれるはずがない。

建築家の職能をあらためて深く考える必要がある。
我々の武器はオリジナリティーだ。そこを高く評価されるもののみが生き残るべきだ。経済合理性は我々の武器ではない。安易にそれを使ってはいけない。それは他の”建築屋”の仕事だ。建築家は施主だけのために仕事をするのではなく、広く建築文化に貢献しなければならない。

 真に誠実な仕事は誰にとっても心地よいものだ。
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by unocolumn | 2011-05-24 23:33 | 建築観

”理ある” な生き方を求めて

仏教では、「理は現実を現実のままに認識すること」とある。震災以後、原発の問題をブログなどで取り上げてきた。それはまさしく事実を知りたいからの一念だった。やみくもに原発反対を唱えるつもりは全くない。事実を知り、リスク&ベネフィットを理解した上で、自ら責任ある判断をしたいだけだ。自分の「生」を他人任せにしたくないし、責任も負わせたくない。今社会では「薬害」「食害」等々同じように知らないところで「生」が脅かされている。とにかく責任ある「生」を全うしたいという強い思いがある。
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by unocolumn | 2011-05-19 12:22 | 建築観

さくらは、只、咲いている。

意味も無ければ目的も無い。僕らもそれに習うべきだ。木柄をみたり、節をデザインすることに何の意味があるのだろう。それは自然を見下した“奢り“か、自らの力を過大評価した”過信“にすぎない。

自然(神の仕業)を受け入れる度量が欲しい。

縁(神の仕業)を無心に紡ぐ品性が欲しい。
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by unocolumn | 2011-04-06 22:55 | 建築観

さくら


     その美しさに少しでも近づきたいと思った。

       でも、その道は行き止まりだった。

        しばらくその前に立ちすくんだ。

        ある時、わき道を見つけた。

         その先は少し明るかった。
 


        もう少し生きていていいんだ。
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by unocolumn | 2011-04-06 18:36 | 建築観

自然に任せる               木のこと

いま、僕の建築に木は欠かせない素材となっている。しかし、その使い方でその表情や意味が全く変わってしまう。心掛けていることは、その個性や表情を生かすこと。それには最大限の智恵を使い、最小限の加工に留めること。細く切り刻み、貼り合わせ柱にしたり、巾ハギにして天板にするとその個性や表情はたちまちに失われてしまう。それはすでに木ではなく、工業化された新建材といってもいい。そういう仕事をしているうちは、本当の木のことはわからない。相手は自然。ちっぽけな人間の力や知識で太刀打ちできるものでもない。その個性(=くせ)を読み解く智恵とそれを受け入れる度量がなくてはできない。ましてや自分の技術を見せびらかすものでもない。主役はあくまでも木だ。一期一会の仕事だ。だから、同じ納まりも同じ形もないはずだ。
 30数年建築にかかわり続け、特に最近実感することがある。それは “自然に任せる” ということ。自然を信頼すること。自然を愛すること。それが自分の想像を超え、経験したことのない豊かさを与えてくれることに気づきはじめたからだ。真に豊かな建築を作るには、人だけでなく、自然に対しても信頼がなくてはダメだ。
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by unocolumn | 2011-04-04 12:47 | 建築観