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カテゴリ:建築観( 53 )

ぜんぶ手でつくる

4、共歓を求めて

1年くらい前からオリジナルのハンドルや照明などの海外からの問合せが頻繁にある。それは個人の場合もあるし、ショップや法人の場合もある。結論からいうとすべてお断りをしている。実は初めの頃、少し心が揺れた。でも、そのおかげであらためて僕が何に喜びを感じて仕事をしているかを再確認出来るきっかけにもなった。

なぜ売ることを躊躇したかは至極単純なことだった。それは僕が購入する人のことを全く知らないからだ。ボクが考えるハンドルや照明器具などはその建築のためだけにある。必ず特定のクライアントを想定してデザインしたものだ。どういうデザインが似合うか、どうしたら使いやすいかなど必然的に完成品は毎回違う。いわゆる一品ものだ。それが僕の知らない人たちが購入するということは、当然その人たちのために作ったものでもないし、その後の交流もない。カッコいいことを言うつもりはないが、僕はやっぱり僕の周りの人たちの幸せそうな顔をこの眼で見たいんだ。お金だけが僕に残ってもその幸せは半分でしかない。共に歓びあえる「共歓」あってこそだ。そのための手段としてやっていることがクライアントのためだけの「全部作る」「手で作る」ということ。

僕のやり方がすべて正しいといっているのではない。大企業が行なっているような合理的に機能を満たす生産活動もなくてはならない。その反面、百姓や料理人が、食する人の顔をひとりひとり思いながら作る仕事もあっていいのではないか。余談だが、最近マスコミなどに頻繁に登場するカリスマシェフと呼ばれる人がいる。そういう人たちの中には何店舗も持ち、すべての客に自から料理を振舞っていない人がいる。彼らはその日の食材、天候、客の体調などで変わる料理の神髄を知らない人だ。知っていたとしたらその人はすでに料理人とは言わない。冷凍食品を選んでいるわけではなく、その人の料理を食べるために予約をしてまで足を運ぶお客に対してできる仕事は自ずと限られてくる。建築家も同じ。いやそれ以上に取り返しがつかないという意味においても責任は重い。少なくともクライアントはその後の家族の生活を託しているわけだから。だから、たくさん思いを込めるためにも「全部作る」。深く込めるために「手で作る」。自分の思いおよばない冷凍食品(既製品)のようなものは使わないことだ。

あらためてものを作って売るという当り前の経済活動を考えたとき、どこまで、どのように人と関るか、そして何を歓びと感じるかをしっかりと自覚した上で行動すべきだ。そうすればお互い選択のミスは少なくなるだろう。
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by unocolumn | 2014-12-13 13:26 | 建築観

ぜんぶ手でつくる

3、雑誌の掲載や賞をもらって喜んでいるうちは ∙ ∙ ∙

雑誌に掲載されたり,何がしかの賞をもらって喜んでいるうちは、本当に作りたいと思うものが作れないと思う。それでも作れると思っている人は,おそらくそれほどたいしたものは作っていない人だ。

要は自己プロデュースのことだ。僕らの仕事は、クライアントの決断によって成立する。その決断が何によってなされたかがとても重要だ。それによって最終的に作るものが大きく変わる。自分の仕事の価値を正確に伝えることに細心の注意を払うべきで、評価の材料は、自分でコントロール出来る範囲に留めることが大切だ。

特に第三者の評価は気をつけた方がいい。例えば雑誌。雑誌は写真の撮り方から始まり、解説文の内容など明らかに編集長の好み、評価,意図が反映する。意にそぐわない内容は往々にしてある。しかし,それを見た人は私の仕事として評価する。もうひとつ問題なのが、何がしかの全国誌の載ったということで一種のお墨付きがついてしまうことだ。そのような多数が評価したと思わせるような情報は、クライアントが自分だけの価値観で決断しようとする時にその正確さを曇らせる要因になる。

賞も同じことがいえる。主催者の意図や審査員の好みで決まることがほとんどだ。自分と同じ賞をもらったやつがとてつもなく変だったりすると,「俺ってあいつと同じ評価?同じ価値っていうこと?」と思ったりする。何も知らない一般の人は当然そう思う。どういう評価でどういう価値基準で選ばれたか理解しないまま、ブランド価値だけが一人歩きする。じきに「何々賞を取ったから人だから頼もう」なんて人から依頼がきたりする。そうなると最悪。第三者(雑誌や賞)の価値観がものづくりに色濃く反映してくる。それらは大方売れ筋だったり流行のもの、多くの人の共感を得安いものだったりする。時代の基本は外さずに普遍性の無いつまらないものになる。また,そういうものを期待されるし、そういうものしか作れない。

ボクが建築写真に期待しないのも同じだ。建築写真は写真であって建築ではない。当り前だ。撮る人の意志、価値観が必ず入り込む。自分が撮ってもそうだ。だから写真のクウォリティーなんて実はどうでいい。実物に興味を持ってもらうきっかけになればいい。写真はあくまで写真家の作品だ。ボクの仕事とは全く関係ない。

大切なことは,自分の価値を他人に侵されないことだ。自分が納得しコントロール出来る情報を地道に気長に出し続けるしかない。ぶれずに研鑽を続けていれば,きっと誰かが見ていてくれる。結果はすぐには出ない。でも、いつかその誰かはかけがえのない大切な人になる。

追伸
おそらくボクが賞をもらって嬉しく思うのは,職人の仕事が評価された時かクライアントが評価された時だけだろう。

追々伸
ただ、独立間もなく実績の少ない新人の人は手段を選ぶ必要はないが、初めの一歩はとても大切。金のために設計はしないこと。同じ目的の施主から依頼が来るから。後でなかなか修正が利かない。
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by unocolumn | 2014-10-05 18:05 | 建築観

ぜんぶ手でつくる

1、信頼は責任を超えられない。

全てはこれに尽きると言っても過言ではない。信頼があれば多くのことは実現可能だし、かなりのことを省くことが出来る。最も無意味なことが,コンセプトワークとプレゼンテーション。そんな電通まがいの”騙しのテクニック”を最高学府の大学で力を入れて教えていることにも愕然とする。建築を騙し切ることはできない。建築の寿命は、それよりも永いからだ。大切なことは等身大の価値をありのままに伝えること。そして,それが受け入れられるための人間力を磨くこと。人間力とは信頼を得る力のこと。信頼は責任の重さ以上には得られない。多くの建築家が,必ず突き当たる壁がここにある。建築家が担うコンプライアンスという責任は、彼らが思うほど大きくはない。いまやコンプライアンスは前提条件である。建築の責任は経済がその大半である。それを知ってかしらずか建築家は、ちっぽけな責任を振りかざすので現場は混乱する。そして、クライアントは誰を信頼すべきかいっそう混乱する。

 悩んでいる建築家の皆さん。もう分かっていると思います。逃げるのはもう止めましょう。ぜんぶ責任を取る覚悟を決めれば楽になります。そのためのスキルを身につけましょう。今後数回に分けて私がやってきたことを紹介します。
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by unocolumn | 2014-09-17 00:26 | 建築観

備忘録 磯江毅の言葉から

写実(建築)的方法ということ。自己を表現するということの意味にも疑問を持つようになり、傲慢ささえ覚えるようになりました。写実(建築)は、むしろ自己を抑え、対象物(素材)そのものの再現に徹することのなかに、表現意識を封じ込んでゆくこと(=哲学)ではないかと考えるようになりました。

表現するのは自分ではなく、対象物(素材)自体であるということです。その物(素材)が表現している姿から、どれだけ重要なエレメントを読み取り、抽出できるかということなのです。角膜に受動的に映る映像を根気よく写す行為ではなく、空間と物(素材)の存在のなかから摂理を見出す仕事だと思うようになったのです。

(素材)をよく見るということは、物(素材)の成り立ちを見極め、やがてそれを解体、解剖することだと思うようになった(中略)。 写実(建築)には、客観性(社会性)の尊重というルールがあります。しかし、作家(建築家)はそのルールを守りつつ、自身の主観的表現欲とどのように対応し、折り合いをつけてゆくのでしょうか。作品(建築)の精神性の高さはそんなルール(社会性)の中に見出す精神の自由さによるものだと思っております。
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by unocolumn | 2014-06-18 13:54 | 建築観

私感          吉村順三の日本建築の価値

○ 純粋
 素材や金物、架構、建築を構成するすべてのものに必要以上の意味や機能を期待しないことです。それぞれが持つ本来のミッションや価値をよく理解し、欲張らないこと。それぞれが最も喜ぶように素直に使うこと。そして、シンプルにわかりやすく使うことです。そうすれば彼らは自由に個性を発揮し、設計者が恣意的なデザインをしなくても、自然に建築というオーケストラの優れたメンバーになります。

○ 誠実
 誠実とは、ごまかさないことです。建築に関るあらゆるものの価値を正当に評価し、合理的に建築としてまとめあげることです。誠実さのない建築は、時間に耐えられません。出来れば既製品は避けて、すべて手作りにしたいものです。

○ 無私
 子供が遊ぶように建築を作ることです。しかし、我々プロはそこに責任が伴わなくてはなりません。決して建築を自分のために利用しようと考えながら設計してはいけません。設計の段階から撮影する場所を決めている輩がいると聞きますが、それはもっての外です。

○ (愛情)芸術性
 すべてのものに命があり、設計や造り方如何では蘇ると信じることです。人智の限界に気づき謙虚な心で自然に任せることです。他人(ひと)の心を信じることで職人に任せることができます。そして出来上がったものを受容する寛容さが大切です。その寛容さを身につけるためには、天命を待てるほどに事前に人智を尽くさなければなりません。



My thought   
Japan architecture's value by Junzou Yosimura 《 Pure, Sincere, Selfless, (Love) Artistry 》

○ Pure
I will consider the point of view from the physical here. The goal is to not expect the meaning and function of more than necessary in all things that make up the material and hardware, Frames, architecture. That you understand the value and mission of the original, each with, it is not greedy. The use obediently so that each most pleased. And is that you'll use in simple easy to understand. They show personality freely in doing so, the architect without having to design arbitrary, will naturally become excellent team members with orchestra that architecture .

○ Sincere
A sincere is that it does not try to cheat.It is to appreciate the value of everything related to architecture, and to work up reasonably as a architecture. Architecture without sincerity can not endure the passage of time. I want to make by handmade if possible all, and avoid ready-made articles.

○ Selfless
Architecture should be made so that the child play.
However,we professionals should have with responsibility there. Don't design while thinking that it will use architecture for your purpose.I hear that there are fellows that decide where to shoot from the stage of design, but it is absolutely unthinkable.

○ (Love) Artistry
It is to believe that life dwells in all things, to be revived is a way how to build and design.It is to realize the limits of human knowledge, leave it to nature in the humble heart.
You can rely on the craftsman in believing others (people) minds.And tolerance to receive a finished thing is important. In order to acquire the generosity, you must do your everything possible until God will give the blessing.
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by unocolumn | 2014-05-10 13:02 | 建築観

理想の建築

価値を求められる建築は、芸術にはなれないという宿命を背負っている。

でも、僕には理想の建築がある。

そのために僕はどうやらこの30年間「創作の自由」というものを大切にしてきたようだ。やっぱり僕だって普通に地位や名誉、お金も欲しい。でも、尊敬する先人を見ると天才でもない限りそれらを全部手に入れるのは難しいようだ。だから何を優先するかを決めなくてはいけない。

自由 > お金 > 名誉 > 地位

戦略的に創作の自由を確保するためにしてきたことはないけれど、結果的に今僕は大変恵まれた環境にいる。

クライアントや敷地が変われば当然建築も変わる。でも変わらないことがある。機能的であること。シンプルであること。普遍的であること。美しいこと。愛情を込めてすべて手で作ること。

クライアントが共感してくれるのは、目に見えるような形とかデザインではなく、そうした創作の姿勢なのだと思う。ましてや僕は有名ではないからブランドでもない。そういうものへの共感、賛同があればこそ、創作の自由が許されているのだと強く思う今日この頃だ。

多くの同業者は有名願望が強い。資本はわかり難い理想や哲学、思想よりもわかりやすい形やデザイン、ブランドを求める。みんなそのリスクを承知しているのだろうか。それに抗うことはかなりの孤独を強いられる。僕にはコルビジェのように理想をかかげ、真っ向勝負で体制と立ち向かう強さはないし才能もない。どこまで登れるかはわからないが、共感してくれるクライアントとともに自分なりの方法で裾野から理想の建築という山を登り続けることにする。



Architecture be asked to value , are carrying a fate that can not become art .

But , I have the ideal architecture .

Apparently I seem to have cherished "freedom of creation" for the last 30 years. I even want honor and status, even after all the money normally. But it seems to be difficult to obtain all of them except a genius when I refer to an architect to respect.So do not we have to decide what to do priority .

Free > Money > Honor > Status

Though I haven't done it to secure freedom of creation strategically, as a result, I am in the at all advantaged environment now.

If a client and a site change, naturally the building changes, too. But it may never change. To be functional . Functional. Simple. Universal. Beautiful. All handmade with love.

I think what a client sympathizes with to be a posture of such a creation not visible form or design. Let alone I'm not a brand because I'm not a famous. I think strongly nowadays that the reason why freedom of the creation is permitted is that a client has sympathized and approve of such a thing.

Many archtects have a strong famous wish. A capital asks for an intelligible form and design and brand more than unclearly philosophy and ideal and thought. I wonder everyone has understand the risk. Be resisting against it is forced to loneliness considerable . I don't have a strength and talent that Le Corbusier hold out the ideal and fight a system. I don't know how far I can climb , but decided to continue climbing the mountain of architecture of the ideal from a foot in my way with the client who will sympathize me.
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by unocolumn | 2014-04-19 17:45 | 建築観

アイコン建築物・ブランド建築家

ユリイカの3月、4月号の飯島洋一氏の論考は痛快だった。
表題は「らしい」建築批評。
内容は新国立競技場計画設計競技の批判に始まり、ザハを初めとする著明建築家が作る建築を「アイコン建築物」といい、彼らを「ブランド建築家」と切り捨てる。また、彼らは資本家の「顕示的消費」「見せびらかしの称賛」のための定番商品を作り続けているだけで、安藤がスタンスが同じというル・コルビジェが抱いた革命の精神性は全くないばかりでなく単なる趣味的なだけだと言い切る。そして、真に強い建築とは自立性や表現の強さではなく、建築が自ずと自然に馴染むことの強さだったり、コルビジェのように社会改革のための建築という強さこそ建築に求められているという。などなど一部を紹介したが、彼の論考は多岐に渡り、数十ページとなり次号にも続いている。

同年代の僕には彼の怒り、悲しみは手に取るほど良く分かる。安藤に憧れ建築家を目指した僕らの世代にとって安藤の裏切りは許せないものだ。僕自身20代はむさぼるように安藤建築を見て回り、ディティールを研究し、いつか安藤のようになりたいと憧れていた。しかし、彼の仕事量や規模が増すにつれ、彼は僕の憧れではなくなった。そして、征服すべき山がなくなった僕の30代は、遭難した登山者のようなだった。もうあの苦しい時代には二度と戻りたくないが、彼がいなくなったおかげで今の僕があることは疑いのないことだ。あらためて思うと僕のこの20数年間はブランド建築家になりたくない、アイコン建築物は作りたくない、資本家の道具にされたくないともがいてきた時間だった。そして、彼がいう真に強い建築を模索した時間だったともいえる。
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by unocolumn | 2014-04-12 13:48 | 建築観

なぜ普遍性を望むのか。

僕は思春期の頃から自由を求める気持ちと認められたいという願望が異常に強かった。でもそれが両立しないことは未熟な僕にも何となく分かっていた。

自由を求めれば求めるほど孤独になる。当然、承認欲求は満たされない。それらを両立する方法として僕が見つけたのが「普遍」だった。自分も他人もいいと思えるものを作ること。そんな時に僕の周りにあったのが建築だった。だから僕の建築に「普遍性」は欠かせないのだ。

今も「自由」と「承認」への欲求は僕の大きなエネルギーになっている。
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by unocolumn | 2014-01-30 15:35 | 建築観

真の建築家を目指す君たちへ

生活の糧ではなく、生涯をかけて建築を極めようとしている君たちに贈る二つの言葉。



「建築の完成度は、信頼関係の強さに比例する」

クライアントが想像できる範囲でする仕事は建築家の仕事ではない。我々の仕事は、未体験の幸福な時間、そして、永遠に続く新鮮な空間を創り出すことだ。自ら作ることが出来ない我々は、職人と一心同体だ。自分を愛するように職人を愛すること。信頼というエネルギーが建築を輝かせる。



「信頼関係の強さは、責任の重さに比例する」

信頼とは、責任を負っているものに与えられるご褒美のようなものだ。法律を守り監理を完璧に行なうことが建築の責任のすべてではない。その大半は作るものに負わされている。設計者自らが作らない限り全幅の信頼を得ることはできない。工務店との建築(いえ)づくりには必ず限界が来る。リスクを負うことでしか見えない世界がある。
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by unocolumn | 2013-06-07 23:44 | 建築観

抽象・具体・空間・時間

「抽象」とは「具体」の断面であり、時間的連続性を有しない。

「具体」とは「事物」のつながりであり、時間的連続性を有する。

「抽象」は「空間」であり、時間的概念にそれほど意味がない。

「具体」は「時間」であり、空間的概念にそれほど意味がない。
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by unocolumn | 2013-02-02 16:14 | 建築観