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12/3 出来た作品と・・・

 フランスの詩人シャルル・ボードレールは、「出来た作品と仕上げられた作品との間には大きな違いがある」といっている。そして、彼にとって「出来た」作品というのは、たとえ「仕上げられて」いなくても、作品として素晴らしく「出来栄え」のいいものを意味していた。つまり彼は、技術的完成度と美的価値とは必ずしも次元を同じくするものではないと言いたかったのだ。
 また、セザンヌも「私は常に仕事をせねばなりません。しかしながら、それは世の馬鹿者どもの賛嘆の的となるあの仕上げに到達するためではありません。これは俗世間ではあれほど賞賛しますが、実は職人的技術の問題にすぎず、あらゆる作品を非芸術的かつ平板にしてしまうだけです」と言っている。

 これらの言葉は、今改めて自分が立っている位置を指し示してくれていると思う。今までは、完成度を求めて、可能な限り「仕上げ」てきた。しかし、そうすればするほど作品に裏切られているような思いを隠せずにいた。それは、知らず知らずのうちにある可能性を抹殺して、満足することができない現実に収斂してしまっていたからだろう。技術的な完成と、自らの信じる、あるいは目指すところの価値とのこうしたギャップは、製作一般に不可避的なものかもしれない。
 だからといって「仕上げられていない作品」が「出来た作品」かと言えばそうではない。技術の軽視、いわゆる「手を抜く」ことが価値を実現するわけではない。だとしたら何を頼りに作るのか。
 それは、「謙虚な姿勢で天命を信じる。そして、人事を尽くすこと」に尽きるだろう。そういう意味で今施工中の「御幸山の家」は全く新しいボクであるとも言える。    
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by unocolumn | 2009-12-02 22:57 | 建築観
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