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8/4 職人の魂

雑誌「住む」の一節です。主に筆記用具を作るドイツ人である木工職人(マイスター)のシュテファン・フィンクのことを、漆塗り職人の赤木明登氏が紹介しているものです。

「職人」と「作家」の境界について、時々思い悩まされる。(中略)自分で「作家」とか「アーチスト」を名のることに、どこか違和感がある。作られた作品のオリジナリティ〈起源〉を、制作者である個人に求めるのが、作家ではないか。さらに作家には自己表現という重要な仕事があるようだ。そのどちらもイヤなのだ。ボクの作ったお椀のオリジナリティは、ボク個人にはない。〈それは、過去の人間のながーい営みの中にある〉。自分なんかを表現して何になるかと思っているし、そもそも表現するような確かな私があること自体を疑っている。(中略)「機能性こそが、私にとって芸術的です」。シュテファンの明快な言葉を思い出す(中略)そもそもヨーロッパで、芸術作品〈アート〉と呼ばれるのは、絵画とか彫刻とか用途も機能もないものに限られてきた。機能性を持った家具や花瓶などは、どんなに装飾的に作られていてもそれらは工芸品〈クラフト〉でかったか。そしてアートを担うのが作家で、クラフトを担うのが職人ではなかったのか。(中略)彼はあくまでも職人なのだ。にもかかわらず、シュテファンの作る一本の万年筆を手に取ると、何か芸術的なものを感じてしまう。ここでいう、芸術的なものとは、高い精神性、完璧な技術、生き生きとした作る喜び、選び抜かれた素材、そういったものが複合して揺り動かす心のふるえのようなものだろう。(中略)現在、多くの職人仕事のつまらなさについて。人の手が、機械のマネをしたように、きちっとものをつくる。上手になりすぎると、技術だけになって、作られたものがつまらなくなってしまう。(中略)シュテファンの仕事を一週間彼の工房で見つめてきた。基本となる形は、極めてシンプルで三つしかない。でも彼の生み出すペンは、一つ一つその太さや、膨らみのピークが微妙に違う。その違いは、工房の中で自然に現れてくる。木目をしながら仕事をどこで止めるか、木の堅さ、その時の気分、心地のよさ!そういったものの結果として「ゆらぎ」が生まれてくる。この「ゆらぎ」こそが、本当に職人的な仕事のおもしろさを支えているんじゃないかな。
そのおもしろさを失わないようにと、彼は、自分の作る物の数をぎりぎりまで抑えている。自分が楽しくできる量で止めておきたいのだ。限界を超えると仕事が苦しくなる。一つ一つの表情の違いを、まず自分が楽しみたいのだ。(中略)ものを自らの手で作り出す、そしてそのことを心の底から自分で楽しむ。それ以外に、作られたものを使う人の心を揺さぶる方法はない。(中略)「小さな子供たちは、大事そうにボクのペンを手にとって、とても純粋な目で見ている。何の知識も経験もなくても理解できることがある。それは、木の魅力。シンプルな形の魅力なんだ。何の先入観も下心もなく、ただものを楽しむような……」。きっと、子どもたちが見せてくれたキラキラした表情と同じ目をこの人も持っている。シュテファンは、その目を通して、世界と一つになることができるんだ。 以上

この紙面にあるコピーも印象的なので、紹介します。

「よい筆記具は手をよろこばすことができる」

「手でものを作ることで繋がっていくこと」

「きちんとよいものを作るという生き方」
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by unocolumn | 2009-08-04 16:44 | 本・言葉
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