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ぜんぶ手でつくる

4、共歓を求めて

1年くらい前からオリジナルのハンドルや照明などの海外からの問合せが頻繁にある。それは個人の場合もあるし、ショップや法人の場合もある。結論からいうとすべてお断りをしている。実は初めの頃、少し心が揺れた。でも、そのおかげであらためて僕が何に喜びを感じて仕事をしているかを再確認出来るきっかけにもなった。

なぜ売ることを躊躇したかは至極単純なことだった。それは僕が購入する人のことを全く知らないからだ。ボクが考えるハンドルや照明器具などはその建築のためだけにある。必ず特定のクライアントを想定してデザインしたものだ。どういうデザインが似合うか、どうしたら使いやすいかなど必然的に完成品は毎回違う。いわゆる一品ものだ。それが僕の知らない人たちが購入するということは、当然その人たちのために作ったものでもないし、その後の交流もない。カッコいいことを言うつもりはないが、僕はやっぱり僕の周りの人たちの幸せそうな顔をこの眼で見たいんだ。お金だけが僕に残ってもその幸せは半分でしかない。共に歓びあえる「共歓」あってこそだ。そのための手段としてやっていることがクライアントのためだけの「全部作る」「手で作る」ということ。

僕のやり方がすべて正しいといっているのではない。大企業が行なっているような合理的に機能を満たす生産活動もなくてはならない。その反面、百姓や料理人が、食する人の顔をひとりひとり思いながら作る仕事もあっていいのではないか。余談だが、最近マスコミなどに頻繁に登場するカリスマシェフと呼ばれる人がいる。そういう人たちの中には何店舗も持ち、すべての客に自から料理を振舞っていない人がいる。彼らはその日の食材、天候、客の体調などで変わる料理の神髄を知らない人だ。知っていたとしたらその人はすでに料理人とは言わない。冷凍食品を選んでいるわけではなく、その人の料理を食べるために予約をしてまで足を運ぶお客に対してできる仕事は自ずと限られてくる。建築家も同じ。いやそれ以上に取り返しがつかないという意味においても責任は重い。少なくともクライアントはその後の家族の生活を託しているわけだから。だから、たくさん思いを込めるためにも「全部作る」。深く込めるために「手で作る」。自分の思いおよばない冷凍食品(既製品)のようなものは使わないことだ。

あらためてものを作って売るという当り前の経済活動を考えたとき、どこまで、どのように人と関るか、そして何を歓びと感じるかをしっかりと自覚した上で行動すべきだ。そうすればお互い選択のミスは少なくなるだろう。
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by unocolumn | 2014-12-13 13:26 | 建築観
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