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さくらは、只、咲いている。

意味も無ければ目的も無い。僕らもそれに習うべきだ。木柄をみたり、節をデザインすることに何の意味があるのだろう。それは自然を見下した“奢り“か、自らの力を過大評価した”過信“にすぎない。

自然(神の仕業)を受け入れる度量が欲しい。

縁(神の仕業)を無心に紡ぐ品性が欲しい。
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by unocolumn | 2011-04-06 22:55 | 建築観
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