「その時その時どうやって生きているか、その痕跡を絵
(建築)に表すので、一貫した画風
(作風)が私にはないのだ。結果として画風
(作風)が様々に見えても、それらは全て私自身なのである」
「生涯を共にした気難しい日本画
(建築)は私に雑念を抑え考えることを教え、抑制と静謐な美を気付かせた。そして無私と集中を叩き込んでくれたのも、古風な日本画
(正直な建築)であった」
「神の造った色や形
(素材)の美しさに吾を忘れ描き留めた
(造り続けた)その線
(形)は、自然の力を借りてできた記録で、私と神の合作なのだ。その時何を見、何をはぶいたか、私の能力の限界を残す自然との果たし合いの記録ともいえる」
「泥水をかきまわし、その混沌のなかから顔を出すようにしていつも私の絵
(建築)は生まれてきた。人は必ずその絵
(建築)の意図や説明を聞きたがるが、「こうなってしまった」と答えるしかない。私の作品には主張も意図もない」